59歳になった9月。定年後を「考える」から「試してみる」へ


9月2日、59歳になった。いよいよ50代最後の1年である。来年は還暦、そしてその先には会社員生活の終わりも見えてきた。

先月の日記を振り返ったとき、私は「お金を増やすことより、残された時間をどう使うかを考え始めた」と書いた。9月は、そこからもう一歩進んだ気がする。頭の中で考えるだけでなく、「じゃあ、実際にやってみよう」と動くことが少しずつ増えてきたのだ。

競馬場へ行く。AIに仕事を任せてみる。定年後の資産配分を考える。家族で旅行する。墓参りに行く。そして、何もせずにNetflixを一日中見る。

一見バラバラな出来事だが、今の自分にとっては、どれも「これからの時間をどう使うか」という一つのテーマにつながっている。

定年後の「遊び」を、一つ実行してみた

8月に「定年までにJRAの競馬場を全部巡ってみよう」というアイデアを思いついた。その第一弾として、9月は中山競馬場へ行ってきた。

指定席は5階のゴンドラ席。レースまでは室内でゆっくり過ごし、発走が近づくと外へ出る。パドックも、混雑から少し離れた場所から落ち着いて見ることができた。思いつきを行動に移しただけのことだが、「ちょっと特別な一日だったな」と感じられたのは、自分にとって意外と大きな一歩だった。

もちろん馬券は当てたい。最近はWIN5の研究もかなり真面目にやっていて、ChatGPTに「WIN5_AI研究所」というプロジェクトを作り、netkeibaのプレミアム会員にもなった。本を読み、調教タイムを調べ、パドックの見方も勉強中である。もはや遊びなのか研究なのか、自分でもよくわからない。

でも、それでいいのだと思う。定年後に欲しいものは、必ずしも「仕事」である必要はない。**夢中になって調べたくなるものがある。**それだけで、時間はずいぶん豊かになる。

とはいえ月末には、「WIN5は1回あたりの賭け金に上限を決めたほうがいいかもしれない」とも考え始めた。たとえば1回1万円まで。夢中になることと、暴走しないこと。遊びを長く楽しむには、この両方が大事なのだと思う。

AIが「便利な道具」から「相棒」になってきた

9月は、AIとの付き合い方も大きく変わった。

これまでもChatGPTやClaudeはよく使っていたが、今月「これは質問に答えてもらうだけの道具ではないな」とはっきり感じる出来事があった。株式投資で毎日チェックしている52週高値銘柄のデータ取得を、ChatGPTに任せてみたのだ。会社から帰ってパソコンを開くと、作業はほぼ終わっていた。これはかなりの衝撃だった。

今まで自分で画面を開き、データを取り、整理していた作業を、AIが代わりにやってくれる。「AIを使う」とは、本来こういうことなのかもしれない。

ちなみに、ChatGPTとClaudeに同じ作業をさせて比べてみたところ、私の用途では大きな差はなく、自動化についてはChatGPTのほうが使いやすいと感じた。そこでClaudeの有料契約はいったん停止している。

59歳でAIを覚え、Obsidianを使い、Udemyでプロンプトを勉強する。少し前の自分なら想像もしていなかったことだ。でも、これが面白い。会社員生活が終わりに近づいているからこそ、**新しいことを覚える時間は、むしろこれから増やしていい。**そう思うようになった。

投資は「増やす」から「守りながら使う」へ

投資についての考え方も、少しずつ変わってきている。

9月に考えた老後の基本ポートフォリオは、インデックスファンド、国債、REIT、金の4つ。これを市況に応じて適切な割合にリバランスしていく、という形である。

以前の私は「次に上がる株は何だろう」と考えることが多かったが、今は「定年後のお金をどう安定して持っておくか」を考える時間が増えた。個人向け国債の記事を読むことも増えたし、REITの利回り5%という数字にも惹かれる。一方で、金利が上がればREITには逆風だ。金も持っているし、インデックス投資も続けていく。どれか一つに賭けるのではなく、**「これから使うお金」と「まだ育てるお金」をどう共存させるか。**59歳になると、投資はそういうテーマに変わってくる。

資産を最大化するゲームから、人生を支える仕組みづくりへ。このあたりは、定年までにもう少し整理していきたい。

家族旅行で、年を重ねたことを実感した

9月後半には、妻の還暦祝いで草津へ家族旅行に行った。子どもたちが企画してくれた旅行である。

行きは息子が運転し、娘とは高崎で合流。草津では温泉に入り、湯畑を歩き、地酒を楽しんだ。翌日は軽井沢まで足をのばし、アウトレットを散策。帰りも最後まで息子がハンドルを握ってくれた。

その運転席の後ろ姿を見ながら、ふと思った。子どもたちは大人になった。そして、その分だけ自分は年を取ったのだと。

妻が60歳になり、来年は私が60歳。昔は「60歳」なんてずいぶん先の話だと思っていたのに、気がつけばもう目の前である。少し寂しい気もする。でも、子どもに運転してもらって旅行する60歳というのも、それはそれで幸せなことなのだと思う。

元気でいられる時間は、当たり前ではない

今月は人間ドックも受けた。わかる範囲ではすべて正常値で、これは素直にありがたかった。

一方で、知人から大腸がんの可能性が高いという話を聞いた。さらに墓参りに行ったとき、父も60歳の頃に直腸がんになったことを思い出した。父はその後30年生きたので、必要以上に悲観することはない。それでも「元気に動ける時間は無限ではない」ということを、あらためて考えさせられた。

定年後に旅行しよう。定年後に競馬場へ行こう。定年後に何か新しいことを始めよう。そうやって何でも「定年後」に先送りするのは、少し違うのかもしれない。やりたいことは、できるものから今やればいい。

59歳なら、まだ仕事もあり、体も動き、お金もある程度は自由になる。**人生後半の準備期間としては、案外いい年齢なのではないか。**そんな気がしている。

「何もしない日」も悪くない

草津から帰った翌日は有休を取った。特に予定はなく、外は雨。朝からNetflixのドラマを見始めたら、気がつけば8話全部見終わっていた。

「こんな一日もいいな」と思った。

定年後というと、資格を取ろう、仕事をしよう、運動しよう、旅行しよう、社会とつながろう……と、つい「有意義に過ごさなければ」と考えてしまう。でも、毎日を有意義にする必要なんてないのかもしれない。雨の日にドラマを8話見る日があってもいいし、朝から競馬を研究する日があってもいい。ふらっと散歩に出る日も、「今日は何もしない」と自分で決める日もあっていい。

結局のところ、私が定年後に欲しいのは、自由な時間そのものではなく、時間の使い方を自分で決められる生活なのだと思う。

59歳の9月に思ったこと

59歳になったからといって、何かが突然変わったわけではない。翌日も普通に会社へ行き、仕事をし、電車に乗っている。

それでも、自分の中では少しずつ変化が起きている。定年後について「何をしようかな」と考えるだけだったのが、「とりあえずやってみよう」に変わり始めた。競馬場巡りを始め、AIに仕事を任せ、資産配分を考え、家族で旅行し、健康について考えた。四国八十八ヶ所を3年かけて巡る、という新しいアイデアまで出てきた。

まだ何ひとつ完成していない。むしろ、やりたいことは増える一方だ。でも、それでいいのだと思う。

60歳になった瞬間に新しい人生を始める必要はない。59歳から少しずつ試して、合わなければやめる、面白ければ続ける。そうして定年を迎えたときには、もう自分なりの生活が始まっている。そんな形が理想なのかもしれない。

還暦まであと1年。会社員として過ごす時間も残り少なくなってきた。焦る必要はない。でも、**「いつかやろう」を、少しずつ「やってみた」に変えていこう。**59歳の9月は、そんなことを思った1か月だった。

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